札幌をはじめとする北海道で親しまれているジンギスカンの歴史は、比較的新しいものになります。ジンギスカンに使われている羊肉の料理が、日本にやってきたのは大正時代のこと。明治時代から広まっていためん羊のためだけでなく、めん羊農家の収入増加を目指し、食用としての羊の飼育が広がりました。それをきっかけに食用の羊は、滝川や月寒など、札幌の近郊でも育てられるようになりました。
札幌などの一般の市民にジンギスカンが広まったのは昭和初期の頃。もともと羊肉を食べる習慣のなかった、日本で受け入れられる羊肉料理として、ジンギスカンが生まれたと言われ、ジンギスカンの歴史の始まりとなります。ジンギスカンを考案したのは札幌ではなく、東京女子高等師範学校に農商務省が料理研究を委託して生まれています。
意外にもジンギスカンの歴史の始まりは、東京の学校にあったということになります。他にも、皇室の御料牧場があった千葉県成田市が発症とする説や、山形県蔵王温泉、岩手県遠野市などが、北海道や東京都は違う独自のものとして起源を主張しています。
ジンギスカンという名前の由来
ジンギスカンという、日本の料理とはちょっとかけ離れた印象のある料理名。ジンギスカンの歴史を考えても、なかなか出てきそうにないこの名前の由来には、さまざまな説が存在します。
モンゴル帝国を率いたチンギス・カンが遠征中に兵士に食べさせた、という説がありますが、現在札幌を中心に広まっているジンギスカンとモンゴル料理はかけ離れたものであり、ジンギスカンの歴史を考えても、いわゆる俗説であるのは違いないでしょう。
有力な説はふたつあります。ひとつは、札幌を中心に広まった、ジンギスカンに用いる鍋が、チンギス・カンが率いたモンゴル兵のかぶった兜と似ているから、という説です。もうひとつは、源義経が北海道を経てモンゴルに渡り、ジンギスカンになったという伝説に基づいたもので、そこから想起し、命名されたという説です。この説には、実際の名付け親がいることでも知られています。
満州国建国に関わった駒井徳三が、南満州鉄道株式会社社員時代に命名したという説です。名付け親まで文献に残っていることを考えても、この説が有力ではないかと言われています。ジンギスカンの歴史を紐解くと、さまざまな言説がありますが、その謎に包まれた歴史も含め、札幌のジンギスカンの魅力につながっているのかもしれません。
なぜ食用の羊が広まったのか
札幌の周辺を中心とした地域に、めん羊が広まったきっかけとなったのは、第一次世界大戦時に軍隊や警察、鉄道員などの制服を作るための羊毛自給のためでした。
これはなんらジンギスカンの歴史とは関係ないように思えますが、このとき、めん羊だけでなく、食用の羊も育てることで、農家の収入を増やし、さらにめん羊も増やそうという、「めん羊百万頭計画」が持ち上がったことから、羊肉が入手しやすくなったことがその一因に挙げられます。
こうして、札幌の周辺では徐々にジンギスカンが広がり、昭和初期には市民の間でもジンギスカンが食べられるようになりました。ジンギスカンの歴史を語る上で、札幌近郊のめん羊の歴史は外すことの出来ない事柄でもあるのです。
一般への普及への道のり
謎の多い札幌の、ジンギスカンの歴史の中で、食用の羊が広まったのはめん羊の増産計画からということをお伝えしましたが、実際に一般の家庭に広まっていったのは、第二次世界大戦のあとだと言われています。
食糧難のなか、羊は比較的安く手に入る食材でもあるにもかかわらず、栄養価が豊富であったこと、名前のインパクトが強いことなどから札幌周辺をはじめとした北海道内で広まったと言われています。
ジンギスカンの歴史の中で、実際に最初に開かれたジンギスカンの専門店といわれているのは、1936年に東京都杉並区に開業した「成吉思荘」となっていますが、実際に一般家庭に広まるに至ったのは、1946年、札幌の「精養軒」が開業したことがきっかけだとされています。北海道の、ひいては札幌の食の歴史を紐解く上でもかかせないこうした事柄が、ジンギスカンの歴史にもつながっています。
ジンギスカンがついに郷土料理に
ジンギスカンの歴史の物語はまだ終わったわけではありません。札幌に精養軒が出来た後、1950年代はまだ、精肉店がジンギスカン鍋を貸し出したりするほどで、まだそれほどジンギスカンは広まっていませんでした。
しかしその後、札幌を中心に、花見や運動会、海水浴などのレジャーの場でジンギスカンを楽しむ人々が増えるようになりました。2004年には北海道遺産のひとつとなり、その後には狂牛病の流行から羊肉の健康効果に注目が集まり、ジンギスカンブームとなりました。これはジンギスカンの歴史の中で、北海道以外の地域に広まるための大きな契機となりました。
そしてついに、2007年には郷土料理百選に選ばれるなど、名実ともに北海道の郷土料理へと発展していったのです。ジンギスカンの歴史は、北海道、そして札幌の食の歴史でもあるのです。
北海道産の羊肉は高価なため庶民は食べることはほとんどありません。
ニュージーランドやオーストラリアからの輸入肉をジンギスカンとしておいしくたべていますよ。
残念なことに だるま さんの説明には地元の精肉店のジンギスカン普及のための努力が、羊肉が豚肉、牛肉、鳥肉と比べ非常にくせの強い食べずらい肉であることが書かれていません。
父は戦後、北海道の炭鉱町で食肉店を営んでおり、羊肉ジンギスカンがおいしく食べられるジンギスカンのタレの開発に札幌近郊の精肉、食肉店と協力し合い、努力し羊肉がおいしく食べられるジンギスカンのタレを作りました。焼肉屋さんのタレの味がそれぞれ違うように精肉店でジンギスカンとして計り売りしているものはそれぞれに違いがあります。
ワシのじぃ様が草競輪の選手をしていた頃
高松宮様が視察にこられて、燕尾服を着て、宮様に煙だらけの中でジンギスカンを振舞ったと聞いたことがある。
綿羊牧場の街、北海道士別市での事だったとさ‼️